黄金世代 中村俊輔の南アフリカW杯
2010年の南アフリカW杯終了後に書いた日記なんですが、岡田監督がW杯後に出演してたテレビのアーカイブを見つけたので、追記、転載してみました。
俊輔代表引退、耐えるのつらかった/日本
http://southafrica2010.nikkansports.com/news/p-sc-tp2-20100701-647965.html
「すべてが終わった今思えば、足首じゃないね。僕の実力がなかったね。本田みたいに1トップでも何でもできる選手じゃないとね」
よく言った俊輔・・・。よく本田の名前を出したよ・・・。
W杯直前合宿に3試合、W杯が4試合、出場した選手も出場できない選手もめちゃくちゃ悔しいだろうしイライラするだろうし、でもホテルの部屋を出るときにそういった感情を完全に捨ててから出るそうだ。
どうしても耐えられない場合、部屋にこもる選手もいたらしい。
第2次岡田ジャパン誕生のとき、俊輔と遠藤、中澤を呼んで「世界のベスト4を目指さないか」と言ったらしい。3人だけに言ったらしい。
アジア予選を突破したのは俊輔の攻撃センスによるところだったのは間違いない。確かに予選で活躍してても、W杯メンバーに選出されなかった選手もいた。
でも俊輔は選出された。日本の10番を背負った。
「自らのサッカー人生の集大成」と位置付けたW杯に先立ち、さまざまな雑誌やらTVやらWEBで俊輔の特集、インタビューが組まれていた。
本人にとって、出場するかしないかが問題ではなく、勝つ為にどれだけ貢献できるかが問題だった。
「フリーキックで1点取りたい」
スタメン落ちなんて全く頭になかったと思う。
「初戦のカメルーン戦を前に自分が先発でないと分かったときが一番きつかった」
「すべてが終わった今思えば、足首じゃないね。僕の実力がなかったね。本田みたいに1トップでも何でもできる選手じゃないとね」
98年のW杯直前合宿、フランスに魂を置いてきたカズは、自分からストライカーの座を奪った城に「日本のエースはお前なんだ」と言って帰ってきたらしい。
目の上のたんこぶにならず、自覚、責任、プライドを継承しているんだと思った。後輩のために。そんなカズの気持ちが痛いほどわかった俊輔だから出たセリフだと思う。
旧エースから新エースへの伝承式。
「プレーヤーとして(の姿を)グラウンド上で示せなかった。ベンチにいても、必要とされる選手になれるよう、途中から切り替えた」。
そんなの簡単に切り替えられるはずがない。
「サッカーの神様にテストされたのかな。これに比べれば02年(日韓W杯の代表落選)なんてかすり傷」
メンバーに選ばれなかった方がぜんぜんマシだよといっていた。そりゃそうだ。
練習ではサブ用のメニューをこなしてるし。
俊輔がベンチで阿部が出てる。
フランスのチームたらい回しになってる松井が出てる。
決めたかったフリーキックを目の前で本田が決めてる。
決勝T、憲剛ならオレだろ!!
練習してても試合中も全てが目を反らしたくなるような現実、残酷な状況、ホテルでもきっと他のメンバーの目も気になってしかたないはず。
「02年は選手としては良かったかもしれないけど、人間として、控えとしては難しいというトルシエの判断だった。あれを今はテストされてるのかな、と。途中からは切り替えてやった」
トルシエジャパン当時、控えとしてベンチにいた俊輔に、「ネガティブのオーラを出していて、周りの選手に悪影響を与える」とトルシエ。
そんな環境の中で、残酷な状況で、8年たった俊輔は過去の先輩が見せていた背中に必死にしがみついていたんだと思う。
井原の許容、ゴンや秋田のバックアップ、三浦淳の献身。
先輩達に見た「日本代表」。
最大の挫折と悔しさ、辛さのなかで、あるべき日本代表の姿にもがき苦しみながら喰らいついた俊輔。
試合中松井にドリンクを渡していた。
セットプレーのアイデアを出していた。
相手の特徴を分析して説明していた。
居残りでシュート練習に付き合った。
自分の為でなく、自分の代わりに試合に出る選手の為に、なによりチームの為に。1ヶ月前まで中心選手だった10番が自分を殺して先輩に挑む。
チームとして、日本代表として、引退の前の最後の仕事。
日本サッカー協会の犬飼会長も「チームが勝ち抜けたのはあいつのおかげだ。宿舎では、本田の隣で俊輔と楢崎が食事していた。腐ってもおかしくない選手が練習でも一番頑張って、誰も不満を言わない状況をつくってくれた」と言っていた。
ぶっちゃけ周りの選手も俊輔が必死に強がってるなんてバレバレだったと思う。でもその強がりが大我という事で、チームで、日本代表を受け継いできた要素だと思う。
W杯が終わって闘莉王は言った。
「成績も含めて一番の選手が励ましてくれたことがここにつながった」。
岡田監督が代表引退を示唆した中村俊輔について。
「それはそれぞれ人の考え方があると思うんで。ただ彼は、本当にサッカー小僧というかね、根っからのサッカー好き。サッカーから離れられないと思うし、まあ、その中で代表ってものにまたチャンスがあるかもしれない。1つだけ言えることは彼がサッカーから離れることだけは絶対にない。あいつは生まれながらのサッカー小僧だから。」
中田英、中澤、俊輔、遠藤、小野、稲本、高原、柳沢、中田浩、小笠原・・・。
1996年アトランタ五輪以降の、黄金世代と言われた世代の時代が終わった。
【追記】
カンブリア宮殿スペシャル サッカー日本代表前監督 ~岡田武史~
http://jp.channel.pandora.tv/channel/video.ptv?ref=em_over&ch_userid=fx_keaton&prgid=39603620
(60:00あたり)
ワールドカップでそれまで主力だった選手を外したことについて
ボクはナラ(楢崎)も外しましたし、ナラのこのワールドカップに懸ける気持ちはオリンピックのオーバーエイジを辞退するくらいでしたから、ものすごい気持ちがあった。でもボクはもう鬼の所業ですよね、そういう気持ちの奴、俊輔にしてもナラにしても外したと。
ところが彼らがすばらしかったですよ。もうその悔しさをおくびにも出さず、チームのために一生懸命やってくれて…そしたらね、若い選手はさぼれないし、試合に出る選手はいい加減なことなんてできないですよ。あの人たちの悔しさを分かっているから、俺たちがやらなきゃいけないって。まあそういう意味では、ああいうベテランがチームを引っ張ってくれたと。
俊輔の回想
http://www.youtube.com/watch?v=LRUIXTx15KU
あれはもう生き地獄。外された方が楽。何でかってそのあと1ヶ月以上はみんなと一緒にいないといけないし、自分が外された事によって雰囲気が崩れるのも嫌だし・・・。だから自分のいる部屋以外は明るくしようとしてたし、今までと変わりないようにして・・・。
でも1番は・・・岡田さんに申し訳ないって感じでしたね。予選もずっと使ってもらってたし。最後の最後で足首悪くしてから、コンディションだんだん良くなくなって・・・。今まで信頼されてた分、裏切ってしまったって感じで・・・申し訳ないなって感じです。