SACRED FIELD

考えをまとめて吐き出して自分を作る領域です。

器が小さいものの顛末

とある団体の代表というか運営みたいなものをやっていると、器が小さいせいか、ちょいちょいイラっとする事があります。

最近も、社会人サッカーチームの出欠確認でイラっとする出来事がありました。

歴史のあるチームなんですが、そのせいもあってか、主力メンバーの転勤やら結婚やらで徐々に人数が減ってきました。

現在はメンバー募集をかけて、人数を増やしつつある状況なんです。

そんな事なんで、試合ともなると助っ人さんを呼んで、なんとか楽しんでる感じなチームなんです。

メンバーへの出欠確認には、とあるwebサービスの掲示板を使って確認しているのですが、締め切りを過ぎても書き込まないメンバーがほんと多い!!

日曜日に試合があるので、前の週の月曜に呼びかけて、水曜日を書き込み期限にして、足りなければ木曜から助っ人を集めるのですが、助っ人が決まってから「行きます」とか言われるとホントイラっとします。

これが毎週毎週で、
メールで書き込みを催促しても書かないわ
直接言っても書かないわ
遅れてすいませんも言わないわ
なんやねんと。

前々から行くって言ってくれて、書き込みが遅れたとか、まだわからないのであとで書き込みしますってのならまだいいんですがね…。

運営の仕方なり言い方なり人徳なり、そりゃ確かに完璧ではないです。

運営の仕方とは、まぁ言わなくても書きたくなるような空気、雰囲気を作る的な事とは思いますが、これはこれでなかなか難しいもんです。

サッカーだけで繋がってる場合はどうしても空気は他人行儀で、メンバーに会いに行くとか、しゃべりにいくとか、そういった関係が必要になります。

これに対して自分がやってきた事は、特定のメンバーをチームの話題にしたり、ゲームキャプテンを変えて見たり、グループで話題をフったり、みんなで飯に行ったりと、まぁそりゃいろいろやってきました。

これはこれで、いきなりあれこれやってもATフィールドという距離感がありますので、たまに読み違えてしまいますが、相手の空気を読みつつ入り込んで行こうという事でやってました。

また、言い方についてもなかなかどうして難しいものです。ガツンと言いたい事もありますが、「あいつが嫌だから行きたくない」なんて思われたら、その時点で自分はチームのお荷物になってしまいます。

それに、どうやったって自分のイライラした感情を吐き出したい気持ちが混ざってしまうもんです。そういった時は、言いたいことは相手に伝わりません。

優しく言っても伝わらない人には伝わりません。でもこれに対しては、子育てと同じように、根気良く伝えるしかないのでしょうね。と、良識者は伝えています。

人徳に関して、これはホント大変。現場のメンバーは、自分を表していると思います。新しい人が見学にきて、入るかどうかの最終判断は、リーダーを見ます。

団体を構成するものは、だいたいリーダーの両手に治まる物が入っています。だいたいね。

リーダーの器を広げる事が、新たなタイプのメンバーが入ってくる事になるのだと思います。


そういった要因から、チームの雰囲気だったり、積極性だったり、協調性だったりが決まってくるのだと思います。




そんなことで、器が小さい自分が上に立ってて良いのかという事になってくるんです。しかも自分を犠牲にしてまで。

もちろん、それを続ける事で沢山の学びを得ました。それこそ統率の方法だったり、リーダーの経験だったり、勝利の喜びだったり、数多くの人間性だったりと。

ここでのキャリアは、今の自分の基盤になっています。




ただまぁ、その反面、何かをすり減らせているようにも思うんです。

今まで散々メールしても返さなかったメンバーが、助っ人が決まった金曜の夜に久々に「行きます」とか言ってこられると、さすがに感情が湧いてきます。

メンバーが増えれば良いという問題でなく、お願いして来てもらうからには助っ人にはフル出場してもらわなければならないので、そのシワ寄せは、早くに書き込んでくれたメンバーがハーフタイムで交代という事になります。

それでは古参のメンバーにも申し訳ないので、お願いして来る約束をしていた助っ人に、やっぱり大丈夫になったと言った事もあります。

連絡取れなくなった友達もいます。

また、メンバーへの書き込み催促メールやら、電話も、もらう方は何度も言われたら、自分からの連絡に抵抗を持つようになります。こっちもしたくないのに、何故か距離ができるんです。




でも、これらは、やはり考えが小さいことが原因なんです。今週の試合を見ているのと、来年のチーム状態を見ているのとでは、すべてにおいて感じ方が変わってきます。

久々のメンバーも、これを期に、来てくれるようになればチームとしては良いことです。今日明日の事を考えれば、イラっとするものの、来年の事を考えるとチャンスになります。

この手の問題は、いつも切り替えの問題に変わります。最終的には器の広さになります。そうなると、自分の振る舞いは否応にも決まってきます。それに従わざるを得ない考えになります。

こうやって15年孤独にやってきました。長いメンバーは、何も言わないですけど、そういった気持ちをようやく共有できるようになりました。

これから、どこを目指してどこに行くのかわかりませんが、この活動を続けて、いずれシニアチームになり、体が動かなくなり、それでも繋がっているメンバーが全国に広がり、近いメンバーは連絡を取り合い、遠いメンバーは年1回でも集まり、人生を楽しく過ごして行く、その為のツールがこの団体になって欲しいと思います。

メンバーに取ってもそうであって欲しいと思います。または、メンバーの一部でだけであっても、それぞれ個々に繋がり続けていて欲しいと思います。